の私を知っている人から時々聞かれるのは
『文学少女がいかにして体力レディ(?)になったのか』ということです。
これについてある新聞の取材で答えたものがありますので、その内容を書いてみます。
私が慶応義塾大学文学部を選んで進学したのは、本当に文学が好きだったからです。文学が好き、国文が本当にに好き、で迷うことなく国文学科に進みました。AFAA公式ページ中の自己紹介で、年間300冊くらい本を読むと答えていますが、最近は忙しすぎてかなり減ったものの、全然本を読まない日は今でもありません。
図書館の中で、本に埋もれて時間を過ごすことが最高、いつか暇になったらそうやって過ごしたいという夢もあります。また人生には色々な事がありますが、辛いことがあった時はどーんと本を読んで、ひたすら本を読んで時間をやり過ごすというふうにして乗り越えることができました。本があるから、これからの人生も何とか生きていけると思っています。
でもそれほど好きな文学ですが、文学部在籍の大学時代に「本当に好きなことは仕事にすべきではない」みたいな思い「本当の文学の魅力は研究でわかるものではなく、曖昧になっていくばかりだ」という壁にぶち当たってしまったことがあります。「努力すればするほど、不確かになっていくもの」と感じてしまったわけです。高校時代から肉体を否定し精神のみで生きてみせる、と半ば本気で思っていて、その拠り所の不安定さをその時解決できなかったことが、今思うと「肉体」への扉を開く一つのきっかけだったかもしれません。
肉体に完全に目覚めたのは、エアロに出会った時でした。
偶然にエアロ教室に参加した時の衝撃は、ほとんど「天啓」。理由はわからないものの「これは自分のライフワークだ」とはっきり認識しました。
それからエアロ歴20年というのに、一度も飽きたことがありません。仕事となって
大変忙しくなっても、朝起きると「今日もエアロが踊れる」と嬉しくてワクワクします。
そして「肉体」というものは「曖昧なもの」ではなく「実にシンプルでしっかり応えてくれるもの」で、追求すれば追及するほど、はっきりとした効果を示してくれました。学生時代の私は「がり勉」一筋で、人との付き合いや自分の身体への思いやりが無かったように思います。大人になって、エアロと出逢って、心身の改造というべき変化があって。まあ生まれ変わってしまったような感じです。
でも、体に目覚めて、そしてそれがだんだん深く進んでいくようになると、やはり心が必要になってきました。例えば高齢者を教えだした最初の頃のことです。技術的には問題なくても、心の中で「本当はガンガンのエアロ踊りたい」と思っていた時があって、そういう時は本当の良い指導は出来ませんでした。心から高齢者が好きになって、一緒に運動することを心底から楽しみ、感謝の気持ちで指導させていただけるようになった頃、ようやく本物の指導ができるようになったと思います。「人間の心と体はひとつのものなんだ」と感じるようになったのもこの頃からです。
森鴎外の「舞姫」や「普請中」を読まれたことがありますか?鴎外は、国から派遣されて学ぶエリート。日本の国を新しく作り直す責任ある場所にいる自分を認識しています。そしてそれに反するような自分の願いや夢ができてしまうと、小説を書くことによって乗り越えたんじゃないかと私は思っています。このように生きたら、とか、このような心の自分が、という小説を書く事によって自身の心を体現化し、一方現実の肉体は世間的地位や役割を果たしていった・・・(私は鴎外の専門家ではないので、違っているのかもしれませんが)。精神と肉体は、あのようにバランスをとって初めて両方上手くいくというか、本物になるというか、そんな風に思っています。だから心を否定するような、または身体を否定するようなものではなく、心身ともに幸せになれることがとても大切だと・・・
現在の私の生活はかなり肉体派になったわけですけれども、やはり精神なくしての肉体は無理だと思ってますし、逆に言うと、肉体を大事にすることが、心の健康に繋がるのだとも考えているわけです。 |